他人に迷惑をかけたくない人が、無意識に見逃している3つのこと

どうも、高校時代に、「偽善者」とあだ名をつけられた たぐ です。
他人と関わる時に、「できるだけ、迷惑をかけないようにしなきゃ」と、無意識に、自分の感情よりも、相手の顔色を気にすることって多いですよね。
物事は、できるだけ穏便にすませたい。他人から嫌われることを恐怖に感じていると、自分がしたいことよりも、他人に迷惑をかけず、不快に思わせないように振る舞いたくなるものです。
ただ、「他人に迷惑をかけない」ように生きていると、いつの間にか、自分の気持ちが疲れちゃいます。でも、自分の気持ちが疲れているからと言って、あなたは、世間一般でいうところの〝いい人〟だから、「他人の迷惑を考えずに行動すること」が、難しいんですよね?
僕も、今まで、自分の感情よりも、他人に迷惑をかけないように意識しながら生きてきました。
例えば、高校時代から、友達に「勉強を教えて!」と言われれば、自分のやりたいことがあっても、自分の時間を割いて勉強に付き合っていましたし、友達から「ごめん、借りてたCDなくした(笑)」など、理不尽に感じることをされても、「いいよ、いいよ」と、友達を不快に感じさせないように振る舞っていました。
そんな見せかけの善意ばかりを見せていたからか、ある友達から、「偽善者」とあだ名を付けてもらったんですかね?
当時は、自分の「善意」が、「偽善」と言われることに、違和感がありましたが、「偽善」を続けてきた結果、大人になって心の調子を崩した(うつ病になった)のではないかと思うんです。僕は、うつ病になってから、他人に迷惑をかけないように振る舞っていたことが、単に、他人に迷惑をかけることに恐怖心があっただけだったことに気づいたんです。
他人に迷惑をかけることが怖い。でも、もっと自由に、縛られない生き方をしたいと思った時、自分では、無意識に見逃していた3つのことがあるとわかりました。
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1.他人に迷惑をかけない生き方はできない
他人に迷惑をかけないように、努力して生きようと思っていても、自分の気づかないところで、他人に迷惑をかけているものです。
例えば、僕の場合、振り返ってみると、しょうもない迷惑を他人にかけていましたよ。
「ラインをやってないんです。」って言ったら、どう思う?
僕は、ラインをやってないんだけれど、友達や家族から、連絡がとりづらいから登録しろ!とクレームがくる。
自分が使うアプリにまで、クレームがくる時代だ。他人に迷惑をかけずに生きようとする努力をしていたら、疲れちゃうだけだよ。
— うつ病ブロガー たぐ (@tagweblog) 2018年9月29日
僕は、今や誰もが使っているラインアプリを使っていないんです。ラインを使わない理由は、「既読」の機能があることに、拘束感があるからです。きっと、「ラインを使っていない」と聞いた瞬間に、こう思いましたでしょ?
でも、僕からすると、「ラインを使わなくても困らない」、「使う必要性がないのに、なぜ使わなきゃならない?」と思っているんですよね。ただ、家族や友達からしてみると、メールよりもラインで連絡をすることが主流になっているので、知り合いの中には、メールの使い方を忘れたという人もいました。

このエピソードからもわかるように、自分と他人とは、考え方や価値観が違うから、他人に迷惑をかけずに生きることはできないということです。アプリ1つを使っていないかどうかだけでも、他人に迷惑がかかる時代ですからね。
2.他人の持つ感情に、自分が責任をとることはできない
自分が他人に行ったことに対して、その人がどういう感情を持つかは、わかりませんよね?同じことを行っても、喜ぶ人がいたり、迷惑に感じる人がいたり、自分では、他人がどういう感情を持つか。他人の感情を操作することはできません。
僕は、うつ病になってから、精神医学や心理学を勉強する中で、「個人化」という偏った物事の考え方があることを知りました。
「…個人化?何それ??」と思われたでしょうが、「個人化」という考え方を知ると、他人の感情の変化に、自分が振りまわされる必要がないことが理解できますよ。
簡単に、「個人化」に関して、説明を書きました。
例えば、彼女が仕事の失敗をして泣いているのに、その失敗に対して自分も罪悪感を感じたり、ツイッターでツイートしたことについて、否定的なリプがきたりなど。誰かにとってよくないことが起きた時、自分に責任がある訳でもないのに、自分のせいだと罪悪感が湧いてきて、自己否定的になるような状態が、「個人化」してしまった物事の考え方です。
自分では、他人に迷惑をかけないように心がけたり、喜ぶように振る舞ったりすることはできます。ただ、結果的に、他人がどういう感情を持つかについては、自分で操作することもできないですし、他人の問題ですから、責任をとることができないんです。
うつ病になってから、「他人の感情は操れない」と知った。
感受性が高い人は、自分の行動に相手が不快な反応を示すと、不快に思わせたことに対して責任をとろうとする。
でも、不快に感じたかどうかはその人の問題だよ。意図して不快にさせた訳でないなら、自分が思ったように行動すればいい。
— うつ病ブロガー たぐ (@tagweblog) 2018年9月29日
3.他人からも、迷惑をかけられている
一概に言えないけど、うつ病の人ってさ、「迷惑かけることには敏感」なのに、「迷惑かけられていることには鈍感」だよね?
あなたが生きている限り、他人に迷惑はかけるもの。でも、同じくらい、他人から迷惑をかけられているもんだよ。
お互いに、考え方や価値観が違うってことは、そういうことだ。
— うつ病ブロガー たぐ (@tagweblog) 2018年9月26日
他人に迷惑をかけていることに敏感なのに、他人から迷惑をかけられていることには、意外と鈍感なところがありませんか?他人が心地よく感じることばかりに意識が向いているので、自分がどういう気持ちを感じたかについて、意識が向きにくいのではないでしょうか。
振り返ってみると、「自分が迷惑をかけた」と思っていることでも、同じことを他人からされた時、あなたは迷惑だと感じないことがよくあるはず。
そもそも、自分と他人とは、考え方や価値観が違うんです。だから、「他人に迷惑をかけろ!」ということではなく、考え方や価値観が違うのだから、「お互いに、迷惑をかけていることが前提」だと思っていた方が、今よりも、気持ちが楽に生きられますよ。
おわりに
自分が意図していなくても、他人には迷惑がかかるものです。他人の感情は、自分で操作できるものではないですし、操作できないことに対して、自分が責任をとろうとする必要はありません。
「迷惑をかけまい」と、他人の顔色ばかり見ている人生は、きっと、息が詰まりますよ。自分と他人とは、考え方や価値観が違うのですから、「お互いに迷惑をかけていることが前提」です。
自分が思ったように行動しても、意外と、他人は迷惑に感じないことが多いですし、自分の気持ちを優先した方が、今よりも楽に生きられますよ。