プロフィール
たぐ のプロフィール
33歳、妻と小学1年生の愛娘との3人暮らし。
現在、フリーランスとして、webライター・ブログ「僕の人生に うつ がきた」を運営。
20代後半、30代と「うつ病」になり、会社に復職はしたものの、サラリーマンの生活リズムや仕事のスタイルが合わず、フリーランスに転身しました。
僕の人生に、初めて うつ がきた
僕は、サラリーマン時代の10年、作業療法士(国家資格)というリハビリの仕事をしていました。
23歳で医療系大学を卒業し、東京都のクリニックに就職をしました。
クリニックでは、自宅から通ってくる病気やケガの後遺症がある患者さんに対して、箸を持つ練習をしたり、料理ができる練習メニューを考えたりなど、リハビリの仕事に携わり、同期と切磋琢磨しながら知識やスキルをつけていきました。
クリニックのスタッフは少人数で、通われる患者さんも、後遺症の状態が軽い人が多かったので、丸2年が経った時に、もっと自分にできるリハビリスキルを増やしていきたいと考え、リハビリの専門病院に転職したんです。
その後、7年間はリハビリ病院で働いていました。
■ 役職がつき、「昇進うつ?」になる
リハビリ病院に転職してから、5年が経った時、それまでの仕事が評価されたのでしょうか?「役職にならないか?」と上司から話があり、喜んで受け入れました。
というのも、当時の僕は、人生で1回、役職(上司)という立場を経験してみたいと考えていたからです。
自分の念願だった役職がつき、プレイングマネージャー的に、患者さんに対するリハビリの仕事をしながら、会議の運営や売り上げの計算をするなど、役職者としての仕事をしていたある日、異変を感じるようになったんです。
● 売り上げの簡単な計算ができない
● 職場で、何をしていいかわからない
● とにかく不安で焦っている
● 周りの職員の視線が気になる
● 眠れない
● 夜間に起きては仕事について考えている
● 大量の寝汗
● 朝が起きられない
そんな生活が何週間も続き、ついには、職場に行けなくなり、玄関に座り込んで仕事を休む日も出てきたんです。
■ 妻のすすめで、初めて精神科を受診する
何週間も辛くて、自分にとっては苦しい生活を送っていた訳なんですが、それが「甘えているだけなのか?」「病気なのか?」の判断がつかず…。
妻のすすめもあって、専門家の意見を聞きに行くつもりで、初めて精神科を受診しました。
仕事中の思考停止の状態、不安、睡眠の状態など、ひと通り話しを聞いた後、若い精神科の女医は「心のエネルギーがきれちゃったんだろうね?」と言ってくれ、抗うつ薬と抗不安薬を処方しました。
女医の一言に、すごくホッとしたことは、よく覚えています。「甘えじゃない、病気の症状で仕方がないことだったんだな…」
精神科を受診した頃は、全く自分の思い描いた通りには仕事が進んでおらず、自信をすっかり失っていた僕には、救いの一言だったんですよ。
それから3週間、毎週通院し、服薬しながら仕事に行っていましたが、症状は悪くなる一方でした。
体調が悪い様子に気づいてくれた同僚に促され、自分の上司に、うつ病と診断を受けたこと、仕事にならないくらい調子がわるいことを告げて、約3ヶ月間の休職に入りました。
■ 3ヶ月後に復職し、1年間働けた
休職をしてから約1ヶ月間は、ほとんど何もできませんでした。
うつ病の急性期状態は、ほんとに何もする気が起きない。数10㎝先にあるだけのスマートフォンに手を伸ばすことさえも億劫でしかたがない。
でも、休職2ヶ月目からは徐々に散歩をしたり、外出しながら体を慣らし、復職に向けた通勤の練習など、とにかく職場に戻るための準備を徹底しました。理由は単純です。
「戻って一緒に仕事をしたい同僚や部下がいた」
職場に待ってくれる人たちがいたから、また働きに戻りたいと思えた。そして、無事に復職できた後も、約1年間、役職者として仕事をすることができたんです。
転職をきっかけに、通院と服薬をやめてしまった
復職してから、1年、役職になって2年が経った頃に、働いていたリハビリ病院で得たスキルをリハビリの行き届いていない老人ホームなどの施設で活かしていきたいと考え、転職することにしたんです。
ただ、うつ病持ちの状態で、転職しようとしている事実を精神科の主治医に相談できなかったんです。反対されたらどうしよう?という思いがあって…
それで転職をきっかけに、自己判断で通院をやめ、服薬もやめてしまったんです。
あ?そう言えば、昔、精神科の女医が言っていました。
「症状がよくなると、通院をやめてしまう人がいるんだよね。特に若い男性に。」ってまさに、僕のことでした。もう会うことはないけれど、ごめんね、先生。
転職した老人ホームで人間関係になじめず、強引に退職した
7年働いたリハビリ病院を退職し、その後は老人ホームに転職して、病院とはまた雰囲気が違いますが、自分にできるリハビリの仕事をやり始めました。
リハビリ病院では、患者さんと1対1でリハビリを40分~1時間もじっくりできるんですけれど、老人ホームは、2人のリハビリスタッフで、約180人を見ているような形だったんです。
今までじっくり1人1人の患者さんと向き合いながら仕事ができていたのに、老人ホームでは、十分にリハビリのサービスを提供できない状況も出てきて…。
老人ホームに転職して4ヶ月が経った頃、入所しているご利用者さんから、自分の働き方にクレームがつく日が増えてきました。
そして、ある日、強い口調で、1人のご利用者さんに、直接言われてしまったんです。
「あんたは人を差別している。人をバカにしているようにしか見えない!」
僕は、その言葉をきっかけに、職場に行って人と接することが怖くなりました。
どうしても職場に行く気力が湧かず、「今日も休みます…」と毎日電話をかけて、老人ホームに転職して4ヶ月で退職をしました。
退職後、2ヶ月間の専業主夫として生活をする
リハビリの業界は、場所を選びさえしなければ、就職先に困ることはいまのところありません。
僕は、人と関わることにも疲れていたし、前にいたような病院でなら、もう一度、作業療法士として働けるかな?と考え、希望にそうような求人がでるまでの約2ヶ月間、専業主夫をしていました。
お給料はなし。朝に家族を見送り、テレビを見ながら夕飯のメニューを考え、掃除や洗濯をしたり…。
世の中のお父さんが働いている中、僕の役割は、1円でも安い肉や野菜を買い求め、スーパーをまわること。
おそらく、一般的な男性よりは、専業主婦(主夫)の方の気持ちがわかると自負できるほど、主夫業に力を入れていました。
再就職が決まったリハビリ病院も、4ヶ月で休職になる
専業主夫をしながら、再就職活動をしていて、ようやく以前に働いていたところと同じようなリハビリ病院に、就職が決まりました。
新しいリハビリ病院に就職し、3ヶ月ほどは順調だったように思いますが。
再就職をして4ヶ月が経ったころ、またも患者さんからクレームを受けたのです。
「ちゃんとまじめにやってくれないか?適当にやるなら、もういいから。私に関わるのは今後やめてくれ!」
リハビリも接客業なので、相手の様子を伺いながら、リハビリの力加減やペース配分を考えながらやっていたのですが、どうやらその患者さんには、その態度が「手を抜いている」ように見えたみたいなんです。
上司を含めて、他のスタッフにクレームを受けたことを相談したところ、他のスタッフも同じようなクレームをその患者さんから受けていたことが多いようで、理不尽なことを言う人で有名ではあったみたいなんです。
でも、僕には、こういった対面での直接的なクレームに対するダメージが本当に大きく、そして深く残るんです。
ひとつのきっかけに過ぎないとは思うのですが、その日あたりから、1度目のうつの時と同じような症状が、体に出てきました。
職場にいても、何をしていいかわからない/ とにかく不安/周りの職員の視線が気になる/ 眠れない/夜間に起きては仕事について考えている/大量の寝汗/朝が起きられない
うつ病の再発は、1度目のうつ病発病時と症状が似ていると言われています。
だから、今度は上司に相談してから、その時の職場に近い精神科に受診をしました。
僕の人生に、2回目の うつ がきた
精神科を受診し、1度目のうつ病の経験もあったので、症状を説明すると「うつ病の可能性が高いね?」と医師から言われ、抗うつ薬と抗不安薬を処方されました。
精神科を受診した翌日の仕事は、なんとか行けたのですが、翌々日以降は、どうしても朝から体を動かす気力が湧かず、毎日欠勤の電話を入れる日々。
医師や上司と相談し、3ヶ月の休職をすることになりました。
しかし、うつ病の再発は、明らかに1回目の時と違うような感覚があったんです。
● 回復が遅い
● 3ヶ月経っても働く気力が湧かない
● 人の言動に、傷つきやすい
● 心身ともに、疲労感が強い
● 疲労すると、回復に2日はかかる
● 興味や関心の幅が狭まった
高齢者か?!って言われてもおかしくないくらいに、気力や体力が戻ってこず、復職のための準備はしたんですが、職場で働く意欲は、1回目の時ほどは出てこなかったんです。
ツイッターで、色々な働き方・生き方を知る
老人ホームをやめた後から、実は、このブログの前身となるブログを書いていたんですね。
書いていた内容は、リハビリに関連することやライフスタイルのことなどです。このブログの中に、時々、リハビリの療法士としての記事があるのはその為です。
2回目の休職の時も、なぜかブログを書いている時だけは「書く」作業に没頭できて、楽しく感じられたので、ブログの読者を増やしたり、ブロガーやうつ病の仲間と知り合ってみたいと考えるようになって、ツイッターをはじめたんです。
このツイッターを始めたことが、人生の転機になりました。
ツイッターの中で、フリーランスという会社(組織)に属さずとも、自分らしい人生を楽しんで生きている人がいることをたくさん知ったんです。
今まで、10年間サラリーマンとして働くことしか知らず、サラリーマンの知り合いもみんな医療関係者。
同じ組織、同じ価値観しかしらなかった僕は、ツイッターを初めて、自分が考えもしないような人たちがたくさんいることを知りました。
● ポイントだけで生計をたてる
● うつ病なのに健常者よりリア充
● 好きなことだけで仕事をしている
など
色々な働き方や生き方にふれて思ったんです。
僕は、何のために生きているの?
復職をするも、1ヶ月で退職。サラリーマンは合わない…
そして、いざ復職をしてみても、会社にいくこと、職場にいること、仕事をすることが苦痛にしか感じられなかったんです。
うつ病の症状が辛い朝の時間帯に、無理して職場に行っても、帰ってきてから自分のやりたいこともできず、むしろせっかく戻ってきていた気力がどんどんそがれていくような感覚があって…。
● 毎日、同じ時間帯に会社に行く
● 毎日、同じパフォーマンスをする
● 辛い時に、休めない
● 辛い時に、逃げられない
● 最低限のノルマもこなせない
辛い、苦しい、できない経験が積み重なっていくうちに、夜が眠れなくなったり、不安が強まったり。明らかに、うつ病の症状がぶり返してきている感覚があったんです。
そんなんだったから僕には、2つの生存戦略しかないと思いました。。
① 会社員を続けて、また動けなくなる
② フリーランスにかけてみる
自分には、サラリーマン生活は合わないと感じ、妻に泣きながら「もう会社に行けない…行きたくない…」ことを伝えました。それから、医師と上司に相談をして、復職して1ヶ月後に、再就職したリハビリ病院を退職しました。
少ない気力と体力を好きなことに集中させる
退職をした僕には、唯一無二の今後の生き方を決める手がかりがありました。
うつ病の症状が辛くても、没頭したり、楽しいと感じられた「書く(ライティング)」という作業。
webを使ったライターであれば、対面的な人との関わりが少ないですし、自分で仕事量や仕事のタイミングを調整できる。仕事をしながらうつ病の療養にもなるかもしれない。
もはやうつ病でか、加齢でかわからなくなった少ない気力と体力を自分の好きなことに集中させて、フリーwebライター・ブロガーとしてやっていこうと考えたんです。
「僕の人生に うつ がきた」(当ブログ)で伝えたいこと
うつ病の再発率は高いですし、再発していくほど、症状の回復が遅いと言われています。
✔ うつ病で復職のたびに、調子を崩す
✔ 会社で働くことが、自分には苦痛
✔ 何とか今の会社にすがらないと…
それで人生いいのか?!
それが自分らしいの?!
「うつ病で会社で働けなくなった人に、病気と付き合いながらでもフリーランスとして生計を立てられ、楽しく人生を歩んでいける道を示したい」
僕は、webライターやブロガーとして、自分の働き方・考え・生き方を伝え、何らかの理由で会社で働けなくなったうつ病者に、フリーランスという新たな道を伝えていきたい。
今は、とても楽しい日々を送っていますが、生計を立てられるだけの収入は得られていません。
だから、webで稼いだ収益は、毎月更新し、試行錯誤しながら稼いでいっているうつ病フリーランスの姿を見せられたらと思っています。
性格・趣味
■性格
・まじめ、きっちりしつつちょっと抜けてる(大学時代、「クソマジメの人」の典型例として、留学生に自分を覚えてもらった)
■趣味
・カメラ(Nikon)
・スポーツバイク(ビアンキ)
・旅行
・youtube(カズチャンネル、90年代のゲーム動画)
・ブログ
・ツイッター
うつ病になって、死と向き合うくらいに辛い体験をしたからこそ、〝うつ〟から新しい人生を始めたい。
そんな思いで、このブログを運営していきます。
SNSで直接やりとりできる事が楽しみでもあるので、嫌がらせ以外のお話は、ツイッターのDMまでいただければと。
長々と読んでいただき、ありがとうございました。
当ブログをよろしくお願いします。
たぐ