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【書評】「今日一日が小さな一生」心療内科医の教わる自分の生き方を見つめ直す方法とは?

2021/10/12
 
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webライター・ブロガー。うつ病当事者。うつ病になった人に向け、会社で働く以外のフリーランスとしての働き方・生き方を情報発信。うつ病と付き合いながら、〝自分らしい〟人生の歩み方を模索中。
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当たり前にあるものほど、その大切さに気づきにくいもの。

特に仕事に一生懸命な人ほど、仕事以外の大切なことに気づきにくいでしょう。

先日僕は、「今日一日が小さな一生」という本を読みました。

この本を読んだ理由は、僕自身がうつ病でからだを壊したことをきっかけに、これからの人生を丁寧に生きたいと感じるようになったからです。

仕事ができなくなると、自分がまったく無価値な人間に思えるかもしれませんが、本当にそうでしょうか?

「今日一日が小さな一生」は、自分の見逃してきた大事なものに気づかせてくれて、仕事だけに生きてきた自分の生き方を見つめ直させてくれる一冊でした。

「今日一日が小さな一生」とは?

「今日一日が小さな一生」の著者は、心療内科医の海原 純子(うみはら じゅんこ)さんです。

海原さんは、心療内科医として全国で公演活動をおこなうとともに、2013年11月~2014年3月まで復興庁の「心の健康サポート事業」の統括責任者としても活躍し、現在では執筆活動などもおこなっています。

ちなみにジャズミュージシャンでもあるのだそう。

「今日一日が小さな一生」は、海原さんが「毎日新聞」で連載したコラム「新・心のサプリ」を抜粋し、再編集・加筆・修正したのちに一冊の本にまとめたものです。

全52個のコラムから構成された本書は、著者の経験や色々の方との出会いから気づいた考え方や生き方が述べられ、読者に「当たり前にあるものに感謝する大切さ」を教えてくれています

いままで仕事ばかりに一生懸命で、いつも日常が慌ただしかった。

人生に疲れ、まさにこれから自分の生き方を見つめ直したいという方が読んでおきたい一冊です。

新たな刺激を求めながら、今ある当たり前に感謝する

生きていて家族や友人がいて生活の場がある何でもない一日は、実は「特別な一日」だと気づくとき、心のあり方はかわるに違いない。

(引用 海原 純子(2016):今日一日が小さな一生.あさ出版

物や情報が溢れる社会の中では、僕らは何でもかんでも欲しすぎているのかもしれません。

次から次に手に入れないと満足できない。他人が持っているものは、自分も欲しくなる。

新しい物や情報を見聞きするたびに、自分が必要とする以上の欲求にかられてしまうことも多くはないでしょうか?

個人的にはそういった欲求不満な状態は、人間らしいという風にも感じます。というのも、何かしらの欲求があるからこそ、それを満たすために自分を成長しようと思えることも多いからです。

僕は現在うつ病を患っているのですが、この病気になってからしばらくは、物事に対する興味をほとんど失っていた時期がありました。

今までだったら楽しく感じていたことも、本来ならワクワクするようなことも。

色々なことに興味がなくなっていくと、ついには生きることにも関心がなくなりました。

物事に対する興味や欲求があるからこそ、生きる意味も感じられるのだとうつ病の経験を通して実感したんです。

一方で、うつ病になったことで、身近にあった当たり前の大切さにも気づきました。

文句を言いながらも仕事ができる、疲れた時にはサポートしてくれる家族がいる、体調を崩した時に帰れる実家があるなど。自分が当たり前だと思っていたものの上に、自分の生活は成り立っていたんです。

日常に新しい刺激を求めながら、今ある当たり前に感謝する。そのバランスが大事なのでしょう。

仕事をしていない自分にも価値がある

すべての人には何らかの役割があり、世の中にとって必要なのだろうが、その役割に気づくのがわかりにくかったりする。 ~中略~ 「価値がない」というのは、「価値をみつけられない」ことだという認識も必要だ。

(引用 海原 純子(2016):今日一日が小さな一生.あさ出版

僕には、うつ病を患ってから半年ほど仕事ができない時期がありました。

大学を卒業してから10年間、ずっとサラリーマンとして働いてきたので、仕事ができなくなった時期は自分がまったく価値のない人間に思えました。

・お金を稼がない夫

・働いていない父親

以前は「働いてお金を稼ぐこと」が自分の役割や価値だと思っていたので、働けない自分には価値がなく、「家族のお荷物」のように感じられていたんです。

僕は働けない時期には、仕事ができないぶん家事や育児に力を入れていました。少しでも家族のために何かをやらなきゃいけない気持ちも強かったです。

家庭のことに力を入れてみると、娘や妻は僕が想像もしていなかった反応を見せました。

・「パパの料理はおいしいから好き」と娘は言います

・娘と一緒に将棋で遊んでいると「良かったね、パパ優しいね」と妻が言うんです

そういった言葉を聞いて、僕は働いてお金を稼いでいるわけではないのに、自分の存在が認められているような何とも不思議な感覚を持ちました。

こういった経験を通して気づいたことは、仕事やお金ばかりに自分の存在価値を感じていたのは、実は自分だけだったということ。

どうやら僕は、気づかないうちに「夫・父親=お金を稼ぐ、家族を養う」という価値観を勝手に作りあげていたようです。

たしかに生活をするためには、仕事をしてお金を稼ぐ必要があります。でも、働くこと以外にも自分に存在価値があるからこそ、仕事をしていない自分を家族が受け容れてくれたのでしょう。

今までは働くことの価値しか見えてなかったので、仕事以外には自分の価値を見つけられませんでした。

自分には仕事以外にどんな価値があるのか?

まだ知らない自分の可能性を考えると、これからの人生がワクワクするように感じられて仕方がありません

自分の生き方を見つめ直してみる

仕事、役割、健康…。

自分が大事にしていたものを失ってしまうと、「人生が終わった」という気持ちにもなるでしょう。

ただ失ってみたからこそ、自分が本当に大事にしたいものに気づけることも多いです。

肝心なことは、失ったあとに自分の生き方を見つめ直して、これからの人生を大事に生きていくことだと思います。

案外、本当に大事だったものは、自分の身近に残っているものではないでしょうか?

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