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「となりの希死念慮さん」斬新なタイトルの本が教えてくれた希死念慮との向き合い方

 
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たぐ
webライター・ブロガー。うつ病当事者。うつ病になった人に向け、会社で働く以外のフリーランスとしての働き方・生き方を情報発信。うつ病と付き合いながら、〝自分らしい〟人生の歩み方を模索中。
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死にたい時ってあるよね?
たぐ
あるある!結構つらいよねぇ。

 

そんな軽い感じで、希死念慮について他人と共感できたらどれほど気分が楽になるでしょうか?

 

うつ病による死にたさとひとりで向き合っている時ほど、気持ちが追い込まれますよね。

 

となりの希死念慮さん」は、死にたさを感じてしまった自分を受けいれられて、孤独感がやわらぐうつ病当事者の体験談を紹介したエッセイでした。

 

孤独ほど怖いものはない

存在基盤が揺らいでいる中、いろんなことが許せなくなて、誰かに思い切り寄り掛かりたいのに、できなくて、消えていい理由を探したりしていた。

(引用 ひろのはこ(2017):となりの希死念慮さん 死にたい気持ちと付き合う

誰かに頼りたい気持ちがあっても、迷惑をかけそうだし、面倒なヤツだと思われたら嫌われてしまいそう。

 

自分に自信がないと、迷惑をかけたり嫌われたりするのが怖くて、誰かを頼ることがなかなかできません。

 

ちょっとした仕事や用事でも誰かを頼ることができないのだから、他人に「死にたさの相談」を打ち明けられないのは当然なのかもしれませんね。

 

だけど、そうやってひとりで抱え込んでいくと、どんどん孤独感が膨らんでいって、自分だけが取り残されたような気持ちがつらいと思うことも多いはず。

 

「誰かに相談できれば…」

「せめて打ち明けることができれば…」

 

という考えがあっても、希死念慮を感じている時は重たい口を開くだけのエネルギーがないんです。

 

自分の気持ちを理解したり共感したりしてもらえない孤独感が、実は結構つらいのかもしれません。

 

自分を否定するからつらい

私にとって、死を願うことが、ずっと気持ちの逃げ場だった。死にたいと思えない方がつらい、生きづらいなんておかしいだろうか。でも、そうなんだと気づいた私は、死にたいと思うことを自分に許した。

(引用 ひろのはこ(2017):となりの希死念慮さん 死にたい気持ちと付き合う

希死念慮がある時は、「死ぬことを考えるなんて自分はダメなヤツだ」「甘えている」「世の中にはもっと苦しい思いをしている人もいる」などと考えがちです。

 

頭の中に、自分を否定する言葉や考えが無限にあふれてくるからつらいです。

 

でも冷静に考えてみると、死ぬことを考えてしまったところで実際に死ななければどうってことはないのではないでしょうか?

 

なぜなら、希死念慮に実害はほとんどないからです。

 

死んでしまうと、きっと色々ありますよね。

 

自分のご遺体を処理する方も必要ですし、お葬式にお金はかかるだろうし、悲しむ誰かがいるかもしれないし、日本の人口は減ってしまうし、自殺率はあがるし、天国や地獄があるとしたらそちらの世界の事務仕事を増やしてしまうかもしれませんし。

 

それと比べると、希死念慮を感じている状態は、たしかに自分は死にたくなるほどつらい気持ちになるのですが、他人への迷惑はほとんどありません。

 

だから自分の苦しさがやわらぐのであれば、希死念慮を感じている自分を受けいれてしまったほうがいいのかもしれません。

 

「そうか、そうか。そういう気持ちになっているんだな。」って。

できることをできる分だけやる

“本当に何もできない日”と“少し何かできる日”があるのだから、「毎日何もできなくて、何もしていない訳ではない」ということに思い至った。それからは、小さなことでも、できたことを自己申告していった。“この日はこれができた”というデータの蓄積は、「今こんな状態だけど、何ならできるかな?」
という思考に発展した。「だるいけど、眠くはないし、頭は働かないけど、
単純作業ならできそう」こんな感じで。

(引用 ひろのはこ(2017):となりの希死念慮さん 死にたい気持ちと付き合う

うつ病になってからの日々を振りかえってみると、自分の調子が良い時と悪い時のリズムや傾向があると思います。

 

僕の場合は、調子が良い時には頭が冴えわたり、集中力があるのでパソコンを使って仕事をすることができます。

 

一方で調子が悪いと、集中力や気力が落ち、やりたいことがたくさんあっても何から手をつけていいかわからなくなったり、何もやる気が起きずただただ横になっていたかったりします。

 

からだの調子が悪い時ほど、家族や仕事、社会のことなどを考え、まわりに貢献できない自分に後ろめたさや不甲斐なさを感じることが多くはないでしょうか?

 

誰かのために頑張りすぎてうつ病になった人は、うつ病になっても誰かのために頑張りたいと思うものなのでしょう。

 

僕は以前、主治医に「どうしても仕事に行けないんです。行きたい気持ちになれないんです。」という気持ちを打ち明けたことがあるのですが、その時には次のようなことを言われました。

 

「できないものはできない。そういうことです。」

 

できないことがあるとできない自分を責めてしまいがちですが、自分ができないと思うのだから仕方がない、僕はそう解釈しました。

 

つまり、大きな目標、夢や理想はあってもとりあえず棚上げしておいて、いまは自分のできることをできる分だけやることが重要なんだと思います

 

自分のできることが「仕事に向けたリハビリ」という人もいるでしょうし、「家族のために食事をつくる」という人もいるかもしれません。あるいは、「公園で気晴らしに散歩をする」ことかもしれませんし、「Youtubeを見ながらゴロゴロする」ことという人もいるでしょう。

 

たぐ
ちなみに、これらはすべて僕が経験してきたことです。

 

できることをできる分だけやることが、自分の人生のいまを生きるには大事だと思います。

 

自分の気持ちに素直になる

中には「もっと苦しくても頑張っている人もいるんだぞ」とか「このくらいのことで死にたがってどうするんだ」とか言ってくる人もいるだろう。でも、私はそんな人の意見で、自分の「苦しい」や「死にたい」をないものにしたくはない。どうちらも私の大切な気持ちなんだと、気づける毎日でいたい。

(引用 ひろのはこ(2017):となりの希死念慮さん 死にたい気持ちと付き合う

自分の中に浮かんできた気持ちを否定してしまうことは、自分を苦しめるだけ。自殺をすることはいけないと思いますが、希死念慮を感じること自体は悪いと決めつける必要はないでしょう。

 

「となりの希死念慮さん」の中には、とてもいいなと思った考え方が書いてありました。

 

自死を実行することNG、自死を願うことOK

 

うつ病になると複雑なことは考えられなくなります。ですから冷静な判断力がない時の希死念慮は、本人の本当の気持ちとは思えません。

「そうかそうか、そういう気持ちなんだな」と自分の気持ちを認めたり、「また来たのか」といった具合に冷静な気持ちで受けいれたりして、気楽に希死念慮と向き合っていくのもひとつの方法かもしれませんね。

たぐ
全てのページが可愛らしいイラスト付きで書かれていて、気持ちが軽くなるエッセイでした。
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