死にたい時はどうしたらいい?うつ病当事者が経験した「死にたさの扱い方」
うつ病になると、「死にたい」と思うことがよくあります。
気をまぎらわそうとあがいたところで死にたさが溢れてくると、どうしようもないくらいつらい気持ちになりますよね。
・些細なことがきっかけで、死にたくなる
・特別なきっかけがなくても死にたくなる
やり場がないことも、死にたさのつらいところでしょう。
僕はうつ病になって約1年半になるのですが、仕事ができるまでに回復してきてからも、死にたい気持ちになることがよくありました。
とはいっても「いま死にたい気持ちなんだ…」なんて、家族や友達には打ち明けづらいです。まわりの人を困らせてしまうことがわかっているから、死にたい気持ちを話せません。
「死にたい時はどうしたらいいのでしょうか?」
ここでは、うつ病当事者として、僕が死にたくなった時のエピソードや死にたさと付き合ってきた方法を紹介します。
他人の体験を聞いて、少しでも気持ちが軽くなってもらえれば嬉しいです。
目次
死にたいと思った「しょぼい」きっかけ
僕は、妻と小学生になる娘と3人で暮らしています。
僕たち夫婦は、家事について時間があるほうがおこなうという形をとっているのですが、事件はあるゴミ出しをする日の朝に起きました。
我が家では、いつもスーパーのビニール袋にゴミをためてゴミ出しをおこなっています。
事件のあった日はゴミの量が多かったので、少し大きいサイズのビニール袋を使ったほうがいいと思った僕は、スーパーのビニール袋から45リットルの袋にゴミを入れかえたんです。
ところが、その様子を見ていた妻は僕にこう言いました。
妻にしてみれば、いつも通りのビニール袋で、十分にゴミ出しができると判断したのでしょう。
しかし、妻から指摘された僕は、なんだか自分がとりかえしのつかないような悪いことをした気持ちとひどく怒られたような気分になり、死にたいと思えてしまったんです。
実はこの事件があった当時、僕はうつ病で体調を崩し、全く仕事ができなければ家事も満足にできない状態でした。
だから、妻からゴミ出しの仕方を指摘されただけで、家族のために何もできない自分が「家族のお荷物」のように感じられて、迷惑をかけているだけの自分の存在がとても嫌に感じられたんだと思います。
現在はうつ病がずいぶんと回復してきたためか、当時の事件を思い出しても実に些細なことだったように思えますが、こういった些細なことがきっかけで死にたい気持ちになるのがうつ病という病気なのでしょう。
からだが動くからこそ、死にたくなる時もある
うつ病が回復してきて、からだが動くようになったからこそ抱える悩みも多いです。
家事やちょっとした遊びなどができるようになっても、うつ病になる前のようには動けません。
思い通りいかない現状に挫折感や罪悪感しか感じなければ、死にたくもなりますよね。
僕の場合は抗うつ薬が効いてきてから、うつうつした気分がやわらぎ、ちょっとした家事や育児ができるようになったのですけれど、自分が思っていたよりもずっと動けなくて…。
「中途半端な家事しかできなくてすみません」
「仕事で疲れているのに負担を増やしてすみません」
といったように、挫折感や罪悪感を必ずといっていいほど感じていました。
うつ病が回復してきて動けるようになってきたからこそ、昔の自分や他の人と比べては自分を不甲斐なく感じるので、死にたくなることもあるんだと思います。
死にたい気持ちは、自分ではどうにもできない
死にたいと思えた時には、原因を探してもわからないことのほうが多いでしょうし、むしろ考えれば考えるほど、死にたい気持ちに拍車がかかることもあるでしょう。
・ 家族と幸せになれる気がしない‥死んだ方がいいのかな
・ 楽しそうな人を見る‥自分だけ不幸、死にたい
・ 働いている人を見る‥何の役にも立たない自分は死んだほうがいい
自分が見ること・考えること・やることすべてが、死にたい気持ちに関連付けられてどうにも落ち着かない状態は本当につらいですよね。
ただ自分の経験からすると、死にたい気持ちの時には自分ひとりでは解決できないことも多いです。
僕も、ゴミ出しの仕方を指摘されて死にたくなった時には家族と距離をとり、ひとりで何となく電車に揺られながら時間をやり過ごしたことで、死にたい気持ちがなくなっていくということを経験しました。
症状に「日内変動」があるうつ病では、死にたい気持ちがなくなるまで時間をやり過ごすということも必要になるのかもしれません。
死にたい時は、どうしたらいい?
では具体的には、どういう風な考えを持ってやり過ごせば良いのか?
僕は死にたい気持ちになった時、2つの考え方を自分に言い聞かせるようにしていました。
死なないと決める
僕は、死にたいと思ってしまう時には、何をしても、何を考えても死にたいと思うものだと考えています。
というのも、うつの時にはこれからの人生が必ず悪くなるように思えたり、自分の人生で幸せなんて訪れないと思えたりしやすかったからです。
だから、死にたいと思えてしまうことは仕方がない。
ただし、どんなに死にたいと思えても、苦しくても「死なないとだけ決める」ことが重要です。
特にうつ状態の時には複雑なことまで考えられなくなるので、こういったとりあえずその場でやり過ごせる暗示のようなことも意外と大切なポイントです。
死にたいと思わせているのは、病気だと認識する
死にたいと思っているのは自分自身ですが、「死にたいと思わせているのはうつ病」と考えることも、死にたい気持ちをやり過ごすために良い考え方でした。
うつ病では複雑に考えることが億劫になったり、思考が鈍くなったりするので、極端な考え方をしやすいものです。
だから無理をして考え込むよりも、「病気のせいだ」と割りきったほうが、自分の気持ちを否定しませんし、死にたい気持ちが少しは楽になると思います。
ほとんどの人が死にたい気持ちを経験している
僕は以前うつ病の方を対象に、ツイッターで「死にたい気持ちになったことがあるか?」アンケートをとったことがあります。
そのアンケートでは、約9割の方が死にたい気持ちを経験していることがわかったんです。
うつ病の方に質問です。
「希死念慮(死にたいと思うこと)」がありますか?
⇒良かったらアンケートにご協力をお願いします🙇もし「希死念慮」がある方は、どういったことをしてその時間をやり過ごしているか、リプで教えていただきたいです。
よろしくお願いします。
— うつ病ブロガー たぐ (@tagweblog) September 10, 2019
もちろん、それぞれの当事者が同じ状況に置かれているわけではないですが、死にたい気持ちに悩まされているのが自分だけではないと知るだけでも、心強くなるのではないかと思います。
誰かに話を聞いてもらいたい時には…
死にたい気持ちが湧いてきた時には、「誰かに話だけ聞いてもらいたい」と思うこともあるかもしれません。
話を聞いてもらうだけでも、孤独感が薄れて、気持ちが軽くなることもあるでしょう。
ただ、そうは言っても、家族や友達には話しづらいですし、SNSなどで知り合った見ず知らずの人に相談するのも新たな問題が起こりそうで避けたいです。
そこで、役立てたいのが、公的な相談サービスです。
国や市区町村では、死にたい気持ちを受け止めてくれるために、色々な相談窓口をつくっています。
例えば、次のような窓口があります。
いのちの電話
日本いのちの電話連盟が運営している相談窓口。インターネットを利用してメールでの相談も受け付けています。
自殺防止センター
東京都・大阪府・愛知県・岩手県・宮崎県に常設されている自殺の相談を受ける窓口です。ツイッターでも広報しています。
死にたい気持ちを話してみませんか。東京(03-5286-9090、20~翌5時30分)、大阪(06-6260-4343、13時~)、岩手(019-621-9090、20~24時)自殺防止センターがあなたのつらい気持ちをうかがいます。匿名・無料で相談できます。
— 東京自殺防止センター (@tokyo9090) January 4, 2020
また、最近では、話を聞いてくれる民間の相談・カウンセリングサービスも増えています。
こちらは、費用がかかってしまいますが、自分と相性の良い話し相手を選ぶことができます。
いずれにしても、一人で悩みを抱え込みつらい思いをされているなら、誰かに自分の気持ちを打ち明けてみても良いのではないでしょうか。
生きてさえいれば、死なない
「自分のうつ病は全く良くならない」と思うことがあるかもしれません。
僕もうつ状態の時は、からだのつらさが変わらないように感じたり、将来に幸せを感じることはないと感じたりしていました。
そんな僕が感じたうつ病が改善した兆しを最後に紹介します。
・ 寝る前に、翌日にやってみたいことが思いつくようになった
・ 料理で失敗しても、レシピサイトを見て応用できるくらいに頭が働くようになった
・ 朝、8時前にベッドから起きられた
・ 好きだったコーヒーを飲みたいと思えるようになった
・ 趣味(ブログ)が楽しいと思えるようになった
・ 走れるくらいにからだが軽い時が出てきた
死にたい気持ちが消えない時は、とりあえず生きていることが重要です。
当たり前のことのように聞こえますが、複雑なことが考えられないうつ状態の時は、「なぜ死にたいと思ったか」「死にたい気持ちから離れるにはどうすれば良いか」という原因探しに力を入れると、余計に死にたい気持ちが強まります。
だから、死にたいと思った時は複雑なことは考えずに、自分へ「死なない」と誓ったり、死にたいと思わせている原因は病気だとわりきったりして、その場をやり過ごすと良いでしょう。
生きてさえいれば、死にませんから。